缶バを集めたその先に
コロナのお陰で痛バ連番大会が出来ません。なので、家でシコシコセルフ連番してます。缶バ集める系JKのとま子です。
今回は、痛バッグを作った今だからこそ思うことについて書きたいと思います。
まずは自分の痛バ紹介から。自己顕示欲が見え見えですね
まずは初期缶。左のやつですね。CUEの初ライブ、Nice to meet you!で発売され、以降は通販やいくつかのイベントでも販売されてたやつですね。発売開始から時間が経過したこともあり、A3(70個)が組めるまでになりました。取引していただいた皆さんありがとうって感じです。ただしケ◯カス、オメーはダメだ
次はFF混合(?)になります。2019年の冬コミで販売されたものと、2020年の2月末にチョコレートとセットで販売されたものの混合ですね。チョコレートが1個1,000円、チョコがあまり美味しくなかったのは良い思い出。チョコと缶バッジ、どっちがメインなんだ
最後は最新の1st缶になります。まだ完成してないんですけどね。こちらに関しては現地のトレードとか少なかったので、完成が少し遅くなってしまいました。え?1stライブは開催されたのかって?少しとま子さんとお話ししましょうか^^
因みに、冬コミ缶に至っては現地のトレードだけで目標数が集まりました。冬コミ缶含め、缶バッジを取引してくださった方々には本当に感謝しかないです。ありがとうございます。
で、ここからが本題なんですけど
最近、この「痛バ」に対して熱意を抱かなくなってしまったんですよね。ずっと虚無が続いてる感じです。そもそも、なんで俺は痛バ作ってたんだっけ?みたいな。
まぁコロナ期間じゃなければ連番するという楽しみ方もあったんですが、連番するために痛バを作るのもなんか違う気がするんですよね(個人的な感想ですよ)。
正直、オタ活は自己満足の結晶だと思ってます。推しのグッズを集めれば収集欲を満たせますし、集めたグッズで承認欲求満たせますし。もろちん、推しへの純粋な愛でグッズを集めてる方は別です。
ただ少なくとも自分に関してはモノの収集欲と他人からの承認欲求で動いていた節があるので、別に痛バじゃなくても良かったんだろうな、と振り返っています。実際スマホのにわかオタクになりましたし
缶バッジを集め始めたきっかけは間違いなく推しへの愛だと信じたいんですけど、いつの間にか不純物が混じってしまった気がします。とすると、今自分が推しに対して抱いてる愛情は間違ったものなのか、この痛バは何の成果なんだろう…とか色々考えちゃうんですよね。
だって、推しへの愛を表現するだけなら痛バじゃなくても良いわけですからね。あくまで一つの手段として痛バが存在するだけであって、それに固執しすぎてた自分は何を感じて、考えていたんだろう、と最近思うようになりました。
ただ、痛バを作った過程に関しては後悔していません。必死になってケー◯ックスに通ったり、数時間おきにメルカリチェックしたり、配置とか見てもらったり。これはこれで楽しい思い出だったと自負できます。
コロナで精神病んだのかもしれません。ただ、こう、ふわっとですが大きい振り返りポイントに立たされている気がします。なんか纏まらない文章になってしまいました、すみません。
最近自分が考えてたことを他人に見て欲しくて書いちゃいました。こーゆー所が承認欲求高い一端なんでしょうね()
おしり